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『ドライブ・マイ・カー』あらすじと感想を徹底解説!ネタバレあり結末考察とVOD配信情報

映画『ドライブ・マイ・カー』の基本情報
映画『ドライブ・マイ・カー』は、2021年に公開された濱口竜介監督による日本映画の傑作です。
村上春樹の短編小説集『女のいない男たち』に収録された「ドライブ・マイ・カー」を原作としながらも、同短編集の他の作品「シェエラザード」「木野」の要素も織り込んだ、深く静かな感動を呼ぶヒューマンドラマとなっています。
本作は第74回カンヌ国際映画祭で日本映画として初となる脚本賞を受賞し、国際映画批評家連盟賞、AFCAE賞、エキュメニカル審査員賞の独立賞も獲得して4冠を達成しました。
さらに第94回アカデミー賞では、日本映画史上初となる作品賞にノミネートされ、国際長編映画賞を見事受賞するという快挙を成し遂げています。
上映時間は179分と約3時間に及ぶ長編作品ですが、その時間を感じさせない緻密な演出と深い人間ドラマが展開されていますよ。
作品データ
公開年は2021年、監督は濱口竜介、脚本は濱口竜介と大江崇允が共同で担当しました。
主演は西島秀俊で、三浦透子、岡田将生、霧島れいか、パク・ユリム、ジン・デヨンなど国際色豊かなキャストが集結しています。
配給はビターズエンドが手がけ、日本国内だけでなく世界中で高い評価を受けた作品となりました。
第44回日本アカデミー賞でも最優秀作品賞をはじめ8部門で受賞を果たし、第79回ゴールデングローブ賞では最優秀非英語映画賞を受賞するなど、国内外で数々の映画賞に輝いています。
『ドライブ・マイ・カー』のあらすじをネタバレなしで紹介
まずはネタバレを避けたい方のために、物語の導入部分を簡潔にご紹介しますね。
舞台俳優であり演出家でもある家福悠介(かふくゆうすけ)は、脚本家の妻・音(おと)と満ち足りた日々を送っていました。
しかし、ある日突然、音は秘密を残したまま、くも膜下出血でこの世を去ってしまいます。
2年後、広島で開催される国際演劇祭に招かれた家福は、愛車である赤いサーブ900を運転して広島へと向かいました。
そこで彼は、寡黙で過去に傷を持つ専属ドライバーのみさきと出会います。
演劇祭では、チェーホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』の演出を任された家福ですが、オーディションには妻の不倫相手と疑われる若手俳優・高槻も応募してきていました。
みさきの運転する車の中で、家福は少しずつ妻の秘密と向き合い始め、自分自身の内面にも目を向けていくことになります。
喪失と再生、そして人間の多面性を描いた本作は、観る者の心に深く静かに響く傑作ですよ。
『ドライブ・マイ・カー』の詳細なあらすじ(ネタバレあり)
ここからは映画の内容を詳しく解説していきます。
結末やラストシーンにも触れますので、まだ作品をご覧になっていない方はご注意くださいね。
序盤〜家福と音の満ち足りた日々と暗い影
物語は、家福悠介と妻・音のベッドシーンから始まります。
音は性行為の後に不思議な物語を語る習慣がありました。
それは、同級生の山賀という少年の家に毎日忍び込む女子高生の話で、音はこうした物語をセックスの後に語り、翌朝には内容を忘れてしまうため、家福から聞き直して脚本に仕上げるという独特のプロセスを持っていたのです。
家福は演出家として多言語演劇という前衛的な手法で高い評価を受けており、音は人気脚本家として活躍していました。
2人は幼い娘を15年前に肺炎で亡くしていましたが、それでも互いを支え合いながら穏やかな生活を送っているように見えました。
しかしある日、海外出張が急遽キャンセルになった家福が予定より早く帰宅すると、音が若手俳優の高槻と浮気している現場を目撃してしまいます。
家福は何も見なかったふりをして、そのまま空港近くのホテルに泊まり、音にも何も言いませんでした。
その後も家福は音の浮気を知らないふりをして日常を続けますが、ある朝、音から「今夜話したいことがある」と告げられます。
家福は音から告白されることを恐れ、いつもより遅く帰宅しますが、家に着くと音はくも膜下出血で倒れており、既に息を引き取っていました。
妻の秘密を聞くことなく、家福は音を失ってしまったのです。
中盤〜広島での新たな出会いと演劇祭
2年後、家福は広島で開催される国際演劇祭に招かれ、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』の演出を担当することになりました。
家福には車の中で音が吹き込んだテープを聞きながら台詞を練習するという日課があり、愛車の赤いサーブ900は彼にとって特別な空間でした。
しかし演劇祭の規定により、滞在中は専属ドライバーを雇わなければならず、23歳の女性ドライバー・渡利みさきが担当することになります。
最初は不満だった家福ですが、みさきの運転技術は見事で、まるで車に乗っていることを忘れるほど滑らかでした。
家福はみさきの運転を認め、車内でテープを流して台詞の練習を続けるようになります。
演劇のオーディションには国際色豊かな俳優たちが集まりましたが、そこには音の不倫相手と疑われる若手俳優・高槻耕史の名前もありました。
家福は高槻をワーニャ役に抜擢しますが、高槻は年齢が合わないと戸惑います。
稽古では、家福は俳優たちに「感情を込めずにただ読むこと」を指示し、まずは言葉を体に入れることを重視しました。
この独特の演出方法に戸惑う俳優もいましたが、次第に稽古は深まっていきます。
家福は韓国語通訳のユンスと、手話で演技する元ダンサーのユナ夫婦とも親しくなり、彼らの家で食事をする機会を得ました。
ユナは流産で体が動かなくなっていましたが、チェーホフの言葉に触れて再び演じたいと思うようになったと語ります。
車での送り迎えを通じて、家福とみさきも徐々に心を開いていきました。
みさきは北海道出身で、中学生の頃から母を駅まで送るために無免許で運転していたこと、5年前に土砂崩れで実家が被災し、母が亡くなったことを淡々と語ります。
2人は喪失の痛みを共有する存在として、静かに距離を縮めていったのです。
後半〜高槻の告白と物語の真相
稽古が進む中、高槻は家福に「自分は空っぽで何もない」と告白し、音の脚本に何かを問いかけられる感覚があったと語ります。
ある夜、バーで酒を飲んでいた2人は、高槻をスマホで盗撮する客とトラブルになりかけますが、高槻は相手を追いかけて姿を消し、何事もなかったかのように戻ってきました。
車の中で家福は、娘と妻を亡くしたことで幸せな日々が終わったこと、音との間で行われていた「物語」の共有が2人の絆だったことを高槻に打ち明けます。
そして音には別の男がいたこと、新しいドラマが始まるたびに別の男と関係を持っていたこと、でも音を失いたくなかったから知らないふりをしたことを告白しました。
高槻は「音さんは聞いてほしかったのでは?」と問いかけ、さらに「やつめうなぎの話」には続きがあると語り始めます。
音が家福に語った物語の続きは、少女が山賀の部屋で空き巣と鉢合わせし、襲われそうになって相手を殺してしまうというものでした。
しかし翌日、山賀の家には何事もなかったかのように監視カメラが設置されただけで、少女は自分だけが変化した存在として、カメラに向かって「私が殺した」と叫び続けたという内容です。
高槻は「他人の心の中を覗き込むことは難しい。本当に他人を見たいなら自分自身を深くまっすぐに見つめるしかない」と涙ながらに語りました。
みさきは高槻が嘘をついていないと感じ、家福もその言葉に深く揺さぶられます。
家福は「音が亡くなった日、本当は用などなかった。音から話を聞いたら今までの生活が壊れると思うと怖くて帰れなかった。もっと早く帰っていれば助けられたかもしれないのに」と自分の罪を告白しました。
するとみさきも、土砂崩れで母が埋もれたとき、這い出してしばらく黙って見ていたこと、さらなる土砂崩れが起こって母が完全に埋もれて死んだこと、なぜ助けを求めなかったのか、自分は母を見殺しにしたのだと告白します。
家福は「僕が君の叔父さんなら抱きしめて言うだろう『お前は悪くない』と。でも君はお母さんを殺し、僕は妻を殺した」と応え、2人は互いの罪を受け入れました。
しかしその直後、大きな事件が起こります。
高槻が以前バーでトラブルになった相手を殴った際、相手が病院で亡くなり、高槻は傷害致死罪で逮捕されてしまったのです。
本番を目前に控え、演劇祭のプログラマーである柚原は、舞台を中止するか、家福がワーニャ役を演じるかの二者択一を迫ります。
クライマックス〜北海道への旅と癒しの時間
家福はすぐには答えを出せず、みさきに「この車で君の故郷まで行けるか?」と尋ねました。
みさきはうなずき、2人は赤いサーブで北海道への長い旅に出ます。
道中、みさきは「これが私の仕事だから」と言って、フェリーでの睡眠以外はほとんど運転し続けました。
北海道に到着すると、真っ白な雪景色が2人を迎えます。
途中で花束を買い、雪深い道を進んで丘を登ると、そこには5年前に土砂崩れで崩壊したままのみさきの実家がありました。
みさきは花を一本ずつたむけながら、母の思い出を語り始めます。
母はみさきに暴力を振るった後、決まって「サチ」という8歳の人格になったこと、それが本当の病気だったのか演技だったのかはわからないが、サチといる時は幸せだったと。
その話を聞いた家福は、激しく揺さぶられ、次々と言葉があふれ出しました。
「僕は正しく傷つくべきだった。本当をやり過ごしてしまった。見ないふりを続けた。だから音を失ってしまった。永遠に。生き返ってほしい。もう一度話しかけたい」
家福の魂の叫びを聞いたみさきは、そっと家福に近づき、彼を抱きしめました。
家福もみさきを抱きしめ返し、2人は互いの喪失と罪を共有しながら、静かに涙を流します。
みさきの表情は、これまで見せなかった柔らかなものに変わっていきました。
この旅を通じて、家福はワーニャを再び演じる決心がついたのです。
ラスト・結末の解説と考察
広島に戻った家福は、ワーニャ役を自ら演じることを決断し、国際演劇祭は無事に幕を開けました。
舞台は大成功を収め、ラストシーンでは、苦しみの渦中にある家福演じるワーニャに、ユナ演じるソーニャが後ろから優しく近づき、手話で語りかけます。
「わたしたちは生きていきましょう」
ソーニャの手話での語りは、観客の心に深く響き、舞台は感動的な幕切れを迎えました。
そして時が過ぎ、コロナ禍でマスクをつけた人々が行き交う韓国と思われる町のスーパーマーケットで、買い物をするみさきの姿が映し出されます。
買い物袋を抱えて出てきたみさきは、家福の車と同じ赤いサーブに乗り込みました。
車内には、ユンスとユナ夫婦の家で飼われていた犬とよく似た大型犬が彼女を待っています。
みさきの顔には傷痕の治療の跡があり、明るく穏やかな表情で車を運転する姿が映され、映画は静かに幕を閉じます。
このラストシーンには様々な解釈がありますが、濱口監督自身が「ドライブ・マイ・カー」というタイトルが解釈のヒントだと語っています。
家福から譲り受けた赤いサーブは、もはやみさきの車となり、彼女は自分自身の人生を運転し始めたのです。
韓国にいるのは、作中で出会ったユンス・ユナ夫婦との交流が続いていることを示唆しているのかもしれません。
過去の呪縛から解き放たれ、自分の人生を生きる美しさを捉えた、余韻の残る素晴らしいエンディングですよ。
『ドライブ・マイ・カー』を観た感想・レビュー
実際に本作を鑑賞した率直な感想をお伝えしますね。
喪失と再生という普遍的テーマが心を打つ
本作の最も大きな魅力は、喪失と再生という普遍的なテーマを丁寧に描いている点です。
家福は妻を、みさきは母を、高槻は音という存在を失い、それぞれが深い傷を抱えながら生きています。
特に印象的なのは、家福とみさきが互いに「相手を見殺しにしたかもしれない」という罪悪感を抱えている点です。
もっと早く帰っていれば、すぐに助けを求めていれば、もしかしたら救えたかもしれない。
その「もしも」が、2人を長い間苦しめ続けてきました。
しかし北海道での雪景色の中で、2人は互いの罪を認め合い、抱きしめ合うことで、ようやく前に進むことができるのです。
この静かで深い感動は、言葉では言い表せないほど胸に迫ってきますよ。
人は誰しも、大切な人を失った経験や後悔を抱えているものです。
本作はそうした普遍的な痛みに寄り添い、それでも生きていくことの尊さを優しく伝えてくれる作品だと感じました。
西島秀俊の圧巻の演技に引き込まれる
西島秀俊さんの演技は、まさに圧巻の一言です。
家福という役柄は、常に感情を抑制し、表面的には冷静で知的な演出家として振る舞っていますが、内面には妻への愛情、喪失の悲しみ、罪悪感、怒りといった複雑な感情が渦巻いています。
西島さんはそうした内面の葛藤を、抑えた演技の中で繊細に表現していました。
特に北海道のシーンで、これまで決して涙を流さなかった家福が、ついに感情を爆発させる場面は圧倒的です。
「生き返ってほしい。もう一度話しかけたい」という叫びは、観る者の心を激しく揺さぶります。
また、三浦透子さんが演じるみさきの存在感も素晴らしく、寡黙でありながら強さと優しさを持った女性を見事に体現していましたね。
岡田将生さんの高槻も、バーでの独白シーンは神がかっていて、演技なのか本人なのか境界が曖昧になるような瞬間を作り出していました。
キャスト全員が最高のパフォーマンスを見せてくれる本作は、演技を楽しみたい方にも強くおすすめできますよ。
映像美と音楽が物語を深める
本作のもう一つの魅力は、圧倒的な映像美と音楽の使い方です。
赤いサーブ900が瀬戸大橋を渡るシーン、広島の街並み、そして北海道の真っ白な雪景色。
どのシーンも美しく撮影されており、映画を観ているだけで心が洗われるような感覚を味わえます。
特に車のシーンが多い本作では、車窓から見える風景が物語の重要な要素となっており、家福とみさきの心理状態を象徴的に表現しています。
また、音楽の使い方も秀逸で、本作では派手な劇伴は使われず、静寂や環境音が効果的に配置されています。
時折訪れる無音のシーンは、観客の耳を休ませると同時に、登場人物たちの内面に意識を向けさせる演出となっています。
石橋英子さんが手がけた音楽は、控えめでありながら深く心に残る美しいものでした。
約3時間という長尺でありながら、映像と音楽の力で最後まで飽きることなく鑑賞できる作品ですよ。
『ドライブ・マイ・カー』の見どころを徹底解説
ここからは、本作を鑑賞する際に特に注目してほしい見どころをご紹介しますね。
劇中劇『ワーニャ伯父さん』の意味
本作では、チェーホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』が劇中劇として重要な役割を果たしています。
『ワーニャ伯父さん』は、人生の大半を義兄の世話に費やしたワーニャが、愛する女性エレーナに拒絶され、義兄への怒りも爆発させるものの、結局は何も変わらない日常に戻っていくという物語です。
ラストでは姪のソーニャが「わたしたちは生きていきましょう」と語りかけ、どれだけ辛くても働き続けることの尊さを説きます。
この『ワーニャ伯父さん』のテーマは、家福の状況と痛いほど重なっているのです。
妻を失い、その秘密を知ることもできず、後悔と罪悪感に苛まれながらも、それでも生きていかなければならない。
家福がワーニャを演じることは、自分自身の痛みと向き合うことでもありました。
劇中劇を通じて、家福の内面が観客に伝わってくる構造は、濱口監督の演出の巧みさを感じさせますよ。
『ワーニャ伯父さん』の戯曲を事前に読んでおくと、本作をより深く理解できるのでおすすめです。
赤いサーブ900という象徴
家福の愛車である赤いサーブ900は、本作のもう一人の主役とも言える存在です。
サーブ900は現在は生産されていないビンテージカーで、家福にとっては音との思い出が詰まった特別な車でした。
車内で音が吹き込んだテープを聞きながら台詞を練習することは、家福にとって音と対話する唯一の方法だったのです。
ある意味で、この車は音の棺桶のような象徴性を持っていたとも言えるでしょう。
しかし物語が進むにつれて、この車はみさきが運転するようになり、家福は助手席に座るようになります。
これは家福が自分の人生のコントロールを手放し、他者に委ねることを学ぶプロセスでもありました。
そしてラストシーンでは、赤いサーブはみさき自身の車となり、彼女が新しい人生を運転している姿が映し出されます。
原作では黄色いサーブだったものを、映画では赤いサーブに変更したことで、より印象的で美しい映像が生まれました。
緑が混じる広島の街を駆け抜ける赤いサーブの姿は、それだけで一つの芸術作品のように美しいですよ。
多言語演劇という斬新な演出
本作で描かれる家福の演劇は、「多言語演劇」という独特の手法を用いています。
これは、登場人物それぞれが異なる言語(日本語、英語、韓国語、中国語、タガログ語、マレー語など)で話しながら、スクリーンに字幕を表示させるという前衛的なスタイルです。
互いの言語が完全には通じ合わない中でも、身振りや表情、声のトーンなどを通じてコミュニケーションが成立していく様子は、とても印象的です。
そして手話で演技するユナの存在が、この多言語演劇にさらなる深みを与えています。
声を出せないユナが手話で語るラストシーンの「わたしたちは生きていきましょう」は、言葉を超えた普遍的なメッセージとして観客の心に届きます。
本作では、言語の違い、表情の乏しさ、声の欠如など、コミュニケーションの「欠損」を抱えた人々が登場します。
しかしその欠損があるからこそ、彼らは伝えることの意味を深く考え、真摯に相手と向き合うのです。
この多言語演劇という装置は、単なる演出の斬新さだけでなく、作品のテーマを体現する重要な要素となっていますよ。
「気持ち悪い」「良さがわからない」という意見について
本作は世界中で高く評価された一方で、「気持ち悪い」「良さがわからない」という感想を持つ方も一定数いらっしゃいます。
その理由について考えてみましょう。
家福と音の関係性に感じる違和感
冒頭から描かれる家福と音の夫婦関係は、一般的なドラマと比べるとかなりよそよそしく感じられるかもしれません。
愛していると言いながらも、互いに大切なことを話さず、どこか不穏な雰囲気が漂っています。
特に音が語る「やつめうなぎ」の物語は、性行為の後にしか語られないという設定自体がエキセントリックで、人によっては受け入れがたいと感じるかもしれません。
また、家福が音の浮気を目撃しながらも何も言わずにやり過ごすという行動も、理解しづらいと感じる方もいるでしょう。
この冒頭の不穏さが最後まで払拭されないまま鑑賞を終えた方は、「気持ち悪い」という印象を持つかもしれません。
静かな演出と長い上映時間
本作は約3時間という長尺でありながら、派手な展開や大げさな感情表現はほとんどありません。
静かで淡々としたトーンで物語が進むため、エンターテインメント性の高い映画を期待していた方には物足りなく感じられる可能性があります。
また、時折訪れる「無音」のシーンも、静かなドラマに乗り切れていない観客にとっては苦痛に感じられたかもしれません。
特に北海道のシーンでは、トンネルを抜けた後の雪景色で音が吸収されるという演出が用いられていますが、これも人によっては違和感を覚える要素だったでしょう。
濱口監督は「クライマックスに向けて一旦耳を休めてほしかった」と語っていますが、この意図が伝わらない観客もいたと思います。
海外での高評価への疑問
本作がカンヌ国際映画祭やアカデミー賞で高く評価されたことに対して、「なぜそこまで評価されるのかわからない」と感じる方もいるでしょう。
確かに、静かで象徴的なテイストは、欧米の映画批評家に受け入れられやすい作風です。
日本映画でありながらヨーロッパ映画のような雰囲気を持つことが、人によっては「日本人向けではない」と感じられたかもしれません。
ただし、これらの感想はあくまで個人の好みの問題であり、映画の良し悪しを決めるものではありません。
本作のような静かで内省的な作品は、観る人の状況や心境によって大きく受け取り方が変わります。
今はピンとこなくても、10年後、20年後に観返したときに全く違う感動を得られるかもしれませんよ。
『ドライブ・マイ・カー』の配信情報・無料視聴方法
本作を観てみたいと思った方のために、配信情報をご紹介しますね。
U-NEXTでの配信がおすすめ
『ドライブ・マイ・カー』は、複数の動画配信サービスで視聴可能ですが、特におすすめなのがU-NEXTです。
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『ドライブ・マイ・カー』だけでなく、濱口竜介監督の他の作品や、村上春樹原作の映画作品もチェックできますので、ぜひ無料トライアルを試してみてくださいね。
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その他の配信サービス
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ただし配信状況は時期によって変わりますので、各サービスの公式サイトで最新情報を確認してみてください。
また、DVDやBlu-rayのレンタルも各種レンタルショップやオンラインレンタルサービスで利用可能です。
本作は約3時間という長尺作品ですので、じっくり腰を据えて鑑賞できる環境を整えてから視聴することをおすすめしますよ。
まとめ
映画『ドライブ・マイ・カー』は、村上春樹の原作を基に濱口竜介監督が描いた、喪失と再生の物語です。
妻を失った演出家・家福悠介と、母を失ったドライバー・みさきが、互いの痛みと罪悪感を共有しながら、それでも生きていくことの尊さを見出していく姿は、静かでありながら深く心に響きます。
西島秀俊さんをはじめとする出演者たちの圧巻の演技、美しい映像、そして劇中劇『ワーニャ伯父さん』や赤いサーブ900という象徴的な要素が、物語に多層的な深みを与えていますよ。
約3時間という長尺ではありますが、その時間を感じさせない緻密な演出と、人間の内面を丁寧に描く脚本は、まさに世界が認めた傑作と言えるでしょう。
「気持ち悪い」「良さがわからない」という意見があることも事実ですが、静かで内省的な作品を好む方、人間ドラマに深く没入したい方には、間違いなく心に残る一本となるはずです。
U-NEXTなどの動画配信サービスで手軽に視聴できますので、ぜひじっくり時間をとって鑑賞してみてくださいね。
大切な人を失った経験のある方、人生の岐路に立っている方にこそ、この映画のメッセージは深く届くことでしょう。
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